ヒーリングアート ~エッセイ~ 「刹那より輝く」

日本海に隣接するこの街は、

冬ともなると、横殴りの厳しい海風が叩きつけてくる。

 

響子は、買い物袋の重たさを感じながらも、

手袋を纏った右手を自分の頬に当て、

足早に、定食屋「かっぽうぎ」へと向かっていた。

 

 

 

佐上響子。47歳。

バツイチ、独身。子はいない。

幼い頃に父を亡くし、母とは、響子が6歳の時に、生き別れて以来会っていない。

 

 

定食屋「かっぽうぎ」は、響子が離婚を機に、人生をかけて始めた店である。

居抜き店舗の古びた外観ではあるが、

響子が作る温かみのある家庭料理は、地元で働く男たちの胃袋を虜にし、

中でも、ほんのり甘いだし巻き卵はそこいらの店では味わえないとかなりの評判だった。

 

 

「おかみさん、今日はお米何合研ぎましょうか?」

 

アルバイトの流美(るみ)が、キッチンの奥から尋ねる。

流美は23歳で、3か月前、外の張り紙を見てやってきた。

流美の差し出す履歴書がウソだらけなのは、うすうす気づいていたが、

子供を持てなかった響子にとって、行き場のない流美を放っておくことは出来なかったのだ。

 

 

「そうねえ、今日のメインは、もつ煮込みだから、いつもの倍にしておこうかしら」

 

 

響子は暖簾をかけに外へ出ると、

玄関先にクレマチスの花が置かれているのに気付いた。

 

 

「あら、、まただわ」

 

ここ最近、同じことが幾度とあり、しかもそれは決まって、響子が落ち込んだ日の後で、

実は昨日の晩、酒癖の悪い客から難癖をつかれたばかりだったのだ。

少し不気味な気もしたが、身体は正直なもので、その花の美しさについ心癒されていた。

 

18時を回ると、店はだんだん賑やかさを増してくる。

 

 

「おかみさーん、熱燗とビール、それともつ煮!」

「はーい、少々お待ちをー。」

 

 

泥だらけになった工事現場の男達や、

近くの集合住宅に住む高齢者たちが、思い思いに、響子の店に溶け込んでゆく。

 

 

「あら、坂木さん、いらっしゃい」

 

坂木隆は、IT企業に勤める35歳。

かなり有能らしく、会社では将来を約束された重役も担うほどの持ち主だ。

坂木の細く長い指は魅惑的で、「あの指で触れられたら、、」と、

響子はつい初心な良からぬことを想像するが、

身の程をわきまえることで我に返り、

誰にも知られてはならないこの感情をしまい込んでいた。

 

しかしながら、坂木ほどの人がなぜ自分の店の常連なのか、響子はさっぱり理解できないでいた。

 

 

 

「響子さん、いつものお願いします」

 

「はい、今すぐお持ちしますね」

 

 

響子は坂木の好きな自慢のだし巻き卵を用意した。

 

 

「あれ、今日は紅ショウガが入ってる。。」

 

 

「坂木さん、今日はなんだかお疲れのようだから入れておきました。冷めても美味しいし、

ショウガで食欲もアップしますよ。」

 

「いやぁ、参ったな。。響子さんには」

坂木は響子を見つめて、つい、口元を緩める。

 

その日は、週末ともあって、忙しかったが、無事に店じまいをし、帰路に着き、

坂木と交わしたひとときを胸に響子は深い眠りに落ちていった。

 

 

 

翌朝、やり残した事務仕事があり、いつもより早めに店に向かったのだが、

そこで響子は、残忍な現実を目の前にするのであった。

 

 

―― おかみさん、、ごめんなさい。――

 

1枚の置手紙だけが残され、店の売上金が全てなくなっていたのだ。

 

 

 

やられた。。。

 

響子は呆然と立ち尽くす。

 

 

――― これまでどんな想いで築き上げてきたものか、、。―――

 

見知らぬ泥棒ならまだしも、身内だなんて・・・。

 

 

響子は 「信頼」というものの儚さに身が砕け散るのを覚えた。

 

母と生き別れてから全信頼で向き合えた人は数少ない。

でもそのたびに、「この人なら」「今度こそ」、、。

 

この言葉を何度も強く呟いて生きてきた。それが、またしてもこの結末だ。

響子は、自分の運命というものに嘆き、これまで我慢してきた分の涙が溢れるように流れた。

 

その時だ。

 

響子はふいに後ろから誰かに抱きしめられる。

 

 

坂木だった。

 

 

「響子さん、クレマチスのツルは強いんだ。

昔、旅人はクレマチスのツルで編まれたベッドで疲れた身体と心を休めたと言われているよ。

それから、宿の玄関先に飾られるようになったんだ。

一夜を快適に過ごすことができるようにという願いを込めてね。」

 

 

「まさか、あなただったなんて、、。

こんなおばさんをからかわないで!

私は美貌も何もない、使い古された、ただのボロ女よ!

唯一の肉親だった母親からは見捨てられ、

この人だと思った前の夫にも、可愛がっていた娘にも裏切られる。。

もう、、、

これ以上傷つきたくない」

 

 

「他人にどんなに裏切られようが、

あなたは、自分自身だけは裏切らずに生きてきた。

迷って葛藤して辛かっただろうけど、

それは、あなたがいつだって自分の人生に真剣だったという証拠じゃないか!

若さや美貌だけが、美意識だとは思わない!

あなたは気づいていないだろうけど、

そんな女には“辺りを払ってしまうほどのオーラ”があるんだ。

僕は、そんなあなたに本気で惚れている!」

 

 

日本海の水平線からの陽の光を浴びながら、

クレマチスの花が、海風を受けて緩やかに揺れている。

 

坂木と始まる、響子の輝く「旅」を、手を振って見送るように、、、。

 

 

――――― thank you ―――――

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