ヒーリングアート ~エッセイ~ 「スポットライト」

 

「しばらくひとりにさせてくれ」

 

担当の編集者に、その言葉を残し、ひとりアトリエを後にした。

 

 

佐沢拓哉は、東京で小説家として名を挙げたその一人である。

端正な顔立ちに細く長い指、

スマートな佇まいは女性ファンからの支持が厚く、

その甘いマスクからかけ離れた、

斬新で鋭いまでの文章は、人々を刺激した。

 

それが好評で、雑誌の連載や本の出版など、順調そのものだった。

 

 

しかし、人は「刺激」に慣れる生き物だ。

 

もっと、、もっと、、。

 

 

発情期を迎えた野生動物のように、人々が拓哉に強い刺激を求めた。

その欲望を満たすに足りない拓哉は、

捨てられた空き缶のように大都会の片隅に追いやられ、

「佐沢は終わった」こんな言葉を口にする者も少なくなかった。

 

歌舞伎町に漂う擦れた油の臭いは、拓哉の心を濁らせていき、

隙間のないほど溢れかえった店や人の波は、

かつて名声をあげた拓哉の存在さえも容赦なくのみこんでいった。

 

 

産みの苦しみ。

 

 

拓哉はひとり、「孤独」の闇をさまよっていた。

 

 

 

その島を見つけたのは1か月程前になる。

「人のいない島」

 

このフレーズに惹かれ、リュックサックひとつを手にして、

拓哉は今この孤島に降り立っている。

 

 

―― 今の自分には闇がよく似合う ーー

 

 

光の下で、人の欲望や期待に応えながら、

サイズ違いの服を無理やり着させられるより、

 

闇であっても、

今の自分にしっくりくる服のほうがはるかに心地良い。

 

それが今の自分の在り方だ、

それさえ否定されてはもはや死んでいるのと同じだった。

 

島は八丈島くらいの大きさで、手つかずの自然が広がっている。

コバルトブルーの空と透き通る海、

高台から見える広い草原からは風音しか聞こえない。

 

過去も未来もない、

「今ここ」だけの時間が流れているようだった。

 

 

 

海岸に1人の女性が立っている。

 

長い髪が風になびいて、

そこから見えるふっくらとした小麦色の肌はいかにも若々しい。

ハイビスカスの花飾りがその横顔を更に美しくさせている。

 

拓哉は目を奪われた。

東京では女性から見つめられることのほうが多かった拓哉だが、

今は自分が見つめる側だ。

 

 

女性が気づいたのか、こちらに近づいてくる。

拓哉に緊張がはしり、慌てて目をそらす。

 

 

「おひとり?」

「まあ、、そんなところ」

「なぜあんなに私を見つめていたの?」

 

 

輝く白い歯、形のいい唇、ふっくらとした胸、すらっと伸びた脚、屈託のない笑顔、、

そして、その瞳の奥には「光る何か」があった。

 

 

「いや、人がいない島だと聞いていたから少し驚いただけ」

「ふうん。。私、直美っていうの。

ねえ、夜になったらまたこの場所に来て。」

 

 

 

その言葉を残し、

直美は拓哉の返事も聞かぬまま、その場を去っていった。

 

 

躊躇しなかったわけではない、

動揺しなかったわけではない。

 

 

それでも拓哉は、何かに突き動かされるかのように、

言われた通り、この場所に来ていた。

 

夜の海辺は昼間とは違う顔を見せている。

何もないからこそ分かる月灯りの優しさ、強さがそこにはあって、

恍惚と辺りを照らしていた。

 

 

「あなた、闇がはじめて?」

 

直美は、拓哉がなぜこの島に来たのか、

既に知っているかのように話し始めた。

 

 

「スポットライトってね、

浴びるだけではなくて、本来、瞳の中で光るものなのよ。

それが闇を制する者の強さと優しさ、私はそう思うの。

スポットライトを浴びたことしかない人は、闇が怖いのよ。

でもね、闇に踏み入れた人だけが知る光もあるの。

海に入ればもっとわかるわ、行きましょ」

 

 

 

直美は大胆に服を脱ぎ、拓哉の手を引いて海へ飛び込んだ。

 

音もない。

風もない。

色もない。

 

外の世界から遮断された唯一の世界。

月を浴びた水面がガラスのように、きらきら揺れている。

 

 

「きれいだ。。」

 

拓哉は闇が暗くないことをはじめて知ったような気がした。

 

水を含んで重くなったTシャツは、

東京で抱えていた重圧とよく似ていて、思わず脱ぎ捨てた。

 

直美は身体をくねらせながら、水の中を泳ぐ。

 

まさに人魚姫のようだった。

 

柔らかい肌はしなやかに揺れ、拓哉は思わず手を伸ばす。

 

 

直美を引き寄せ、二人は唇を重ねていた。

 

その夜以来、どこを探しても直美に会うことはなく、

本当にそんな女性がいたのかも今となっては定かではない。

 

 

確かなことは、

拓哉の手に、

直美とのたった一度の逢瀬の生々しい感触だけが残っている、

 

ただそれだけだった。

 

 

直美の瞳の中に見たあの光の正体とは、

彼女の人生のスポットライトだったのかもしれない。

 

そして、今、拓哉の瞳の中にもそれはある。

 

夜の東京は今日も欲望がうごめいているが、今の拓哉にはどうでもいい。

 

一歩、また一歩と歩みを進める。

 

ふと見上げると、

高層ビルの隙間からあの月がこちらを見つめている。

 

拓哉はあの日の甘い記憶と共に夜の月をずっと見つめ返していた。

 

―――ー  thank you ――――

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