ヒーリングアート ~エッセイ~ 「お照(ひ)さま」


「おーい、母さんはどこ行っただ?」

「いつもの水やりで庭にいるんじゃない?」


娘の真由美が朝食のお膳立てをしながら、朔太郎の問いに答える。



縁側に差し込む朝日を左に浴びながら、朔太郎は、妻・照子の元へ向かった。

家の庭は、今日もうらうらとあたたかい。
そこには丹精込めて育てた花たちが嫋やかに咲いている。

嬉しそうに水をやる妻・照子の横顔は、目尻のシワが増えた今でも、昔と変わらず、花のように美しい。


この横顔を50年近くみてきたという"時の流れ"に、朔太郎はしみじみとしたものを胸に感じた。


「あら、お父さん、どうされたんですか?」  照子がにこやかに声をかける。

朔太郎は胸の内を悟られたのでは・・?と一瞬照れ臭かったが、
すぐさま我を取り戻し、照子に尋ねた。


「おぉ、母さん。ワシが今日着ていくワイシャツが見当たらんのだけど、見てくれんかね?」


今日は、付き合いの深かった取引先の就任パーティ―があり、地元でも名高いホテルに夫婦で
招かれているのだ。


「この子たちにお水をあげたら、いきますよ。ちょっと待っててくださいな」


「なあ、母さん、枯れ始めてる花にいつまで水をやるだ?」


朔太郎は、普段思っていた疑問を投げかけてみた。


「うふふ、、、傍からみたらそう思いますよね。。

わたしはね、、だから、あげたいんですよ。

枯れ始めの花は、お店の片隅で安売りになって、人目から遠ざかってしまうんです。

でもね、わたしは、こういう花たちを最期まで・・『見て』あげたいの。

お日様を欲しがる花もあるし、お水を欲しがっていそうな時もある。
だから、たとえ枯れ始めていてもちゃんとあげたいの。。

みんな、私の子供のようなものだから・・。

あらやだ、私ったら、朝から話しすぎちゃいましたね。 
お父さんのワイシャツですね、今、いきますわ」



朔太郎の妻、『飯野照子』とはこういう女なのだ。

少々おせっかいなところもあるが、朔太郎にとって、照子は「誇り」だった。


朔太郎のスーツ姿は、お腹回りが少々きつくなっているものの、この年齢になると、
そのふくよかさは、むしろ貫禄となり、鏡に映る姿は重厚な風格さえ感じさせる。


一方、照子は、こういう大事な時に、決まって身に着けるスカーフがあるのだが、
嫁入り前の娘に戻ったかのように、鏡の前で、スカーフの長さやその仕上がりの形に、
もうかれこれ20分もこだわっている。


「椿の花」が施された、朔太郎が、銀婚式にプレゼントしたスカーフで、
花の中でも、椿の花が好きだった照子は、たいそう喜び、
金婚式を間近に控えた今でも大切にしているのだ。


就任式は、厳かに、そして晴れやかに進んだ。
昔に、いろいろと世話した若者が、こうやって舞台に立つ姿は、なんとも感慨深いものがある。



ふと、隣を見ると、照子もまた、目尻いっぱいにシワを寄せて、その姿を眺めている。
きっと同じ気持ちなのだろう・・・朔太郎は思った。

こういう瞬間、「照子と夫婦で良かった・・」と幸福につつまれる。


「いいお式でしたね。。」

「あぁ、、いい式だった」

「お父さんもお疲れでしょうから、お茶をお淹れしましょう」


家路に着き、茜色に照らされる庭を眺めながら、2人は茶を飲むことにした。

茶缶を開けると、ふわっと煎茶の香りが漂ってくる。

照子は、慣れた手つきで、茶道具に触れていく。

普通の人は茶匙ですくうように、茶葉をのせるのだろうが、照子は少しちがう。

茶匙は動かさず、傾けた茶缶をくるりと回し、茶葉が滑るように茶匙に茶葉をのせるのだ。

なんでも、こうすると、茶葉が折れないらしい。

照子のこういう仕草ひとつに、思いやりの強さが感じられる。

湯につかった茶葉は、まるで風呂にでも入っているかのように、心地よさそうで、
ゆっくりゆっくりとそのからだを緩ませ、撚れた茶の葉が元の葉の形に戻ってゆく。

「ふふふ・・・」

照子が口元に笑みを浮かべて小さく笑った。

「なんだ?」

「お父さん、若い頃は、お茶の葉が開く間も待てない人でしたね、、、、」

「そ、そうだったかのう?」

煎茶の香りが、口に含むよりも前に、2人の空間をつつんでゆく。

「あぁ、、うまい。母さん、2煎目も淹れてくれんか?」

「・・・・」

「なぁ、母さん?」

一緒に茶を飲んでいたはずの照子の姿がない。
お湯を沸かしに行ったのか、、、朔太郎は台所を覗いてみるが、そこにもいない。


「おーい、母さんはどこ行っただ?」


「え?お父さん、また何言ってるのよ。お母さんは5年前に亡くなったじゃない。
これで何回目よ?ま、あれだけ仲良かったんだから仕方ないわよね」


――― あぁ、、、これは、夢だったのか、、――――


真由美が言うには、この家で一番、照(ひ)の当たる、この縁側に佇んでいると、決まってこうなるそうだ。

傍からみたら、老人のうたたね、夢見心地に過ぎないのだろうが、
朔太郎にとっては、つい先日の出来事のように、幾度も鮮明に脳裏に浮かんでくるのだ。



――― 失う前より、失ってからのほうが、より鮮やかに重く感じるものだなぁ。。―――



朔太郎は、ほろりとつぶやいた。


「さあ、、今日はわしが花に水をやるとしよう。。」

朔太郎は、ゆっくりと立ち上がり、庭に足をおろした。

ぽかぽかとしたお照(ひ)さまの下で、椿の花がにこやかに風に揺れていた。



――――― thank you ―――――






≪ あとがき ≫

私自身も、生前お世話になった、照子様。

今回、照子様を感じながら書き進めていると、私も朔太郎と同じことを思ったのです。

「失う前より失ってからのほうが、より鮮やかに感じる」と。。。

これは、目で見るのと違い、心で見るからなのでは・・と、何か大切なことを教わったような気持ちです。

椿の花言葉は「控えめな美しさ」「誇り」。
西洋においては、「日本のバラ」とも称えられました。

寒さが厳しい冬の中でも凛として咲き誇ることから「忍耐」「生命力」の象徴でもあります。

ご夫婦で過ごした永き日々、、。
最後まで咲き誇った照子様は、優しく強く慈愛に溢れた女性(ひと)でした。

そして、死しても尚、お照(ひ)さまとして、私達を照らし、今でも変わらず、
愛情という水を与え続けてくれている・・・

私はそう感じざるを得ません。
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