「魅力美」をより深く・・・

魅力美がもたらす美の恩恵

  • 『嫌味を言われたが、かえってその人から応援されるようになった』
  • 『受けた嫉妬や妬みが、 自信に繋がってしまう』
  • 『年齢を重ねても、 人からモテてしてしまう』

オセロでいう、黒が白にひっくり返るように、
一般的に、ネガティブとされるものが、「逆に」、
あなたの魅力を証明するポジティブなものに変わってしまう。

これが、「魅力美」が持つ最大の特徴であり、魅力美がもたらす美の恩恵です。

それは、そのネガティブと思われるようなもの以上に、「目」をつけられるものがあるからです。

目をつけられるのは、「目がいく」からです。

目がいくのは、「魅かれるから」です。

かく言う私も、このお仕事をしている中で、嫌がらせを受けたことがありました。

接点がほとんどないゆえ、身に覚えが無さすぎて、当時は、悲しいのと同時に、私の存在さえ嫌われるのだろうか、、と、だいぶ落ち込みました。

しかし、美について探求していく中で、
自分では納得いかない容姿の部分も、これまでやってきた、大切な想いや信念も、
マイナスもプラスも切り離さず、すべてが自分の一部として、
まるごと、「引き受ける」、「受け入れる」、「みとめる」、「ゆるす」、、

こんなことをひとつひとつやっていくうちに、

「あれ、もしかして、あの時のことって、

魅力があるよって太鼓判を押されたことだったのかもしれない・・・」と思えるようになりました。

起こった出来事は同じでも、「解釈」が変わったのです。

私の中の"女の歴史"が変わったのです。

これは、背伸びや謙遜という名の否定をしていたら、成しえなかったと思います。

あまり思い出したくない出来事だった人が、今や、こうやって魅力美について語る上では、
いちばんの証人と化してくれているわけなのです。

魅力美は「受容すること」と
「受容されること」

「魅力美」と聞いて、私が特に思い浮かべる人は、

安藤サクラさん、工藤静香さん、上白石萌音さん、杉咲花さん、石田ゆり子さん、上皇后の美智子様。

自分ではコントロールできない骨格や目鼻立ちに戦い続けるのでもなく、
加齢に伴う変化に闇雲に抗うのでもなく、

―― 全てを引き受け、自分の足でしっかり立つ。
異質なものに、背くのではなく、穏やかさを持ち、不要となればしなやかに、ながす ――

自らを「受容する」という豊かな心で、
柔らかく、しなやかに進んでいらっしゃるように見える方々です。

シワやそばかす、肌のたるみさえ、むしろ良いニュアンスになっているように私には見えます。

その洗練された美しい姿に、人は魅了され、深い感慨を覚えざるを得ないのでしょう。

これがまた、多くの人から「受容される」ことに繋がっているのだと思います。

自らを「受容すること」と「受容されること」の循環が、魅力美をより一層輝かせるといっても過言ではないでしょう。

魅力美はトータルで見る

魅力美においては、「トータルで見る」ということをおすすめしています。

なぜならば、「陽の美」も「陰の美」も、私たちのほんの一部に過ぎないからです。

円錐(えんすい)を横から見て、三角だ△と言っているだけのこと。

魅力美は、そこを、ぐいっと視点を高くして、上から立体的に見るのです。

蜘蛛の巣グラフのように、どこかが不足と感じても、別のどこかが、その不足以上に膨らんでいるなんてことは沢山あります。

「トータルでみる」ことではじめて、それが持つ"本来の美しい形"というものが見えてきます。

日本では嫌厭されがちなふっくらお腹も、ベリーダンスの世界では美とされるし、
日本では慎ましいとされる奥ゆかしさも、世界のどこかでは、魅力的には映らない。

誰かの正は、誰かの負であり、誰かの表は、誰かの裏なのです。

あなたの魅力美、トータルで見ることをおすすめします。

ところ変われば変わってしまう、曖昧で不安定な「一部」だけで、あなたの美しさを語りきれるはずがないのですから。

魅力美は、二人の女神によって
語られていた?
―古事記から読み取る魅力美―

~ 見える世界の繁栄美 「コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)」 と 見えない世界の永遠美 「イワナガヒメ(磐長姫)」 ~

ここまで「魅力美」について、私目線で綴ってまいりましたが、
実は、これを象徴するようなことが日本の神々の話(古事記)にも残されていたのです。

太陽神アマテラスオオミカミ(天照大御神)の孫、ニニギノミコトが、国を治めるために、現代の高千穂に降り立ちました(=天孫降臨)。

そこで、コノハナサクヤヒメと名乗る美女に出会い、一目惚れをしたニニギノミコトは、コノハナサクヤヒメの父である、山の神・オオヤマツミに使者を送り、結婚の許しを願います。

オオヤマツミはとても喜んで、コノハナサクヤヒメと姉のイワナガヒメも一緒に、ニニギノミコトのもとへ嫁に送りました。

ところが、容姿が醜かったイワナガヒメだけ、一人帰されてしまうのです。

父オオヤマツミは、これにたいそう思い嘆きます。

「イワナガヒメを妻にすれば、命は岩のようなゆるぎない永遠のものとなり、コノハナサクヤヒメを妻にすれば木の花が盛んに咲くような繁栄が得られると、誓約を立てて、娘二人をあなたに嫁がせた。コノハナサクヤヒメだけをとるならば、お命は、華やかであるが、儚いものになるだろう」と。

このため、ニニギノミコトは繁栄こそしたものの短命となり、私達の命も限りあるものになり、人類の「寿命」というものができたと言われています。

実は、これには続く諸説がありまして、、、

イワナガヒメは「醜くかった」のではなく、「見にくかった(=見えにくかった)」のだと言われています。

(イワナガヒメが持つ扇子は自らを隠している。)

イワナガヒメは、石(=意思・見えない世界)の象徴、
コノハナサクヤヒメは、植物(=容姿・見える世界)の象徴 だったのです。

魅力美でいえば、

イワナガヒメは「陰の美」、コノハナサクヤヒメは「陽の美」を表していると言えるのではないでしょうか。

「陰の美」イワナガヒメから学ぶこと

表面の美しさは目に見えますが、内面の美しさは見ようとしなければ見えません。

表面(見た目)の美しさは、歳を重ねるごとに変化していきますが、
内面(心)の美しさは、歳を重ねるごとに輝きが増していきます。

時間をかけて築き上げる、その人の生き様や人柄に、救われる人がたくさん出てくるのです。

そして、その意思(石)を子ども達が見習い、岩のように死ぬまで衰えることがなく、石が巌(いわお)となり、そこに苔が生えるまで永遠に栄えるものと・・・。

国歌の「君が代」にある「苔のむすまで」とは、このようなことだそうです。

父の元へ帰されたイワナガヒメはそれでも心乱すことなかったそう。

そして、今もなお、良縁や長寿の神として今も人々に施しをお与えくださっています。

これは、人生を豊かにするのは、内面の美しさであり、その美しさが社会を作り、平和な世の中を作ると自分を信じ、如何なることがあっても、善に心を留めることの大切さを知っていたからなのだそうです。

まさにこれこそが、イワナガヒメの内面美と言えますね。

「陽の美」コノハナサクヤヒメから
学ぶこと

一方、ニニギノミコトと結ばれたコノハナサクヤヒメにも、彼女の魅力を物語る、印象深いエピソードがあります。

ニニギノミコトと一夜にして身ごもり、出産の準備を始めたコノハナサクヤヒメでしたが、一夜での妊娠を不審に思ったニニギノミコトから不貞を疑われてしまいます。

当然怒ったコノハナサクヤヒメは「本当に天つ神の子であれば如何なることがあろうとも無事に生まれるでしょう」と、出入口を塞いだ産屋に籠り、火を放ち、燃え盛る産屋の中で、三柱の神を産み、身の潔白を命かけて証明してみせたのです。

(ちなみに、この時生まれた神の子孫が現在の天皇陛下へと繋がっていきます。)

このようなことからも、コノハナサクヤヒメは、ただ、外見だけが美しいのではなく、
その奥に、気丈さや女性としての凛とした強さを持つ、誉れ高い女神だと推測します。

世の中には、美人が故に傷ついている女性もきっといらっしゃることでしょう。

でも、それを「美人で悩んでいて・・・」とは到底言えるわけもなく・・・。

人には打ち明けられずとも、深い悩みを持つ女性には、どこかチカラをくれるお話だったのではないでしょうか。

私が思うに、きっとですが、ニニギノミコトは更に惚れ直したことでしょうね。

まとめ

「魅力美」は、どれだけ見た目が変わっても、どれだけ年を重ねても、
あなたが人生の中で"絶えず大切にしてきたもの"の中に必ず存在します。

もしかしたら、それは普段、あなたにとっては当たり前のようなもので、その存在を感じるには、少しだけ時間がかかるかもしれないけれど、、、。

それが、何かの拍子に、ふとこぼれ落ちるとき、姿を現したあなたの「魅力美」に、人は心を魅了されることでしょう。

その作為のない美しさといったら、まるで、女神の手から放たれた光のよう。

「陰の美」と「陽の美」。

どちらかを拒絶するのではなく、まるごと受け入れることで成り立つ魅力美は、あなたの中の女の歴史をより一層、輝かせるものとなるでしょう。 

私と一緒に、そんなスペシャルな体験をしてみませんか?

親愛なるあなたへ

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

最後になりますが、私が「魅力美」を探求する上で、どうしても欠かせなかった、

ひとりの女性のお話をしたいと思います。

今は亡き、私が敬愛する祖母です。

「誠勤文照(せいきんぶんしょう)」。

誠の心で勤め上げ、自らの光で周りの人を照らし生きたひと。

戒名に記された、彼女の人生を象徴する言葉です。

働き者で、服装はいつも動きやすいものばかり・・。

スカートを履いたのは、人生で数えるほどしかなかった女性(ひと)でした。

若い頃は特に苦労が多く、美を楽しむ余裕がなかったのだと思います。

そんな祖母ですが、後半生においては、美に触れる機会も訪れて、その時だけは、他者に身を委ね、

女性としてキレイになることの喜びに満ちていました。

まだ子供だった私が、祖母の髪を結った時、祖母の顔が「女性」に戻り、美しくなったのです。

その時の嬉しさを私は今も忘れていません。

髪を結うといっても、子どもの私がやったこと・・・

大したものではなかったはずなのに、80歳近くだった祖母は美しく輝きました。

これは、身を委ねるという「受容される」経験によって、その人の本来持つ"美"が輝き出したからだと思えてなりません。

アッシュボーテザ・ガーデンでは、「受容される」という体験を通して、一人では気づけない、あなたの中に既に存在している"美"を一緒に見出していきます。

そして、その美は、繰り返し受容されることにより、「魅力美」として輝き始めます。

あなただけの魅力美、一緒に磨き上げていきませんか?

"あなた"と出逢えることを、楽しみにお待ちしております。

高井 仁美