ヒーリングアート ~エッセイ~ 「たったひとつだけ」




冬の夜の海は、毎日表情を変える。
満月の日は、月灯りで、辺りが明るくなるし、
雲がかかった日は、黒い折り紙に潜りこんだかと思うほど、
暗い静かな世界になる。

今日は、どちらかというと、後者に近い。

こんな日は、地球がまるで瞳を閉じているようだと、
山木紗栄子は思う。

今日という日に起こったいろんな出来事を静かに受け止めるように、、。


紗栄子は、木製の古いロッキングチェアに身を委ねながら、瞳を閉じ、
今日のあるひとりの客との会話を思い出していた。





「あーーー、わかんない、わかんない。
ねぇねぇ、紗栄子さん、私の幸せって何だと思う?
どこにあると思う?」


「それは過去一、難しい質問ねぇ。
美穂ちゃんは今の状況に不満なの?」


「不満っていうか、、、お給料もそこそこだし、25歳でチーフの役職もらって、
同期の中では一番の出世だって言われて、悪い気はしていないわ。
旅行にもいけて、気を許せる友達もいるし、優しい彼だっている。

でもね、何かが違うのよ。

一番肝心なものを置き忘れてきているような気がするの、、、」


美穂は、紗栄子より5歳年下で、紗栄子が営むアロマショップの常連客だ。
いつの頃からか、事あるごとに用はなくとも
こうやって紗栄子の店に顔を出しては、悩みをひとしきりこぼして帰っていく。


時には、彼とのえげつない話も、ついつい頭を抱えてしまうようなことも、
包み隠さずあっけらかんと話す美穂の姿に、紗栄子は好感を持っていた。




紗栄子は、アロマの調合師で、
お悩みに合わせて、基材を決め、香りの相性や強弱を見ながら
オリジナルの逸品を作るひとときが、至福だった。


中でも、気軽に使えるアロマスプレーはオープン当初から不動の人気だ。

調合するにあたり、客の話をじっくり聴くのだが、
大抵の人は、「これが欲しい」「こうなりたい」などの欲や願望を、
心の中で押し殺し、いかにも物分かりの良い大人を演じている、、、


最近、紗栄子はそんな気がして、漠然とした違和感を持っていた。


―――― 「我慢」を美化しすぎじゃないか ――――


そう思いながらも、この言葉は、紗栄子自身においてもチクりとするものだった。



「でね、紗栄子さん、このことを友達に言ったら、
あんたは欲張りすぎだっって言うのよ。 贅沢だって。
私って、欲張りなのかしら、贅沢なのかしらー??」

美穂は、ソファによりかかり、小さい子供のように、足をバタバタさせてうなだれている。


「んーー、ま、正直だとは思うわね」

「正直!そうよね!そうなの、私って、欲しいものを正直に言ってるだけなのよ。
こういうの、純粋っていうのかしら!」

「正直と純粋って、違うような気もするけど・・・」


「えーー、何が違うんですか?」


「亡くなった母が、生前好きだった花で、"オーニソガラム"って花があるんだけど、
その花言葉は、『純粋』『無垢』『才能』なのね。

母が言うには、純粋って、

"たったひとつだけを大切にできる想い"のことなんだって。」



「たったひとつだけ、、かぁ。」



2人の間に束の間の沈黙が流れる。。



「紗栄子さん、、少し分かった気がする。。」



最初に口を開いたのは美穂のほうだった。

「わたし、お給料って、我慢料だと思ってた。。でも、ほんとは、チーフという名のお尻拭きのような仕事じゃなくて、わたし、もっと自分の才能を試してみたい。
それに、、彼には悪いけど、、、優しくなくてもいいから、どうしようもなく好きになるくらいの恋がしたい。。

人からすごいと言われなくてもいい、羨ましがられなくてもいい、バカだって言われてもいいの、
私自身がわたしにドキドキしてみたい!

そう思える人生にしたいんだわ! やっぱり、、さすがね、紗栄子さんは!」


その言葉を残して、美穂は弾むように店を出ていった。






今宵も静かに夜が更けてゆく。

「ふふふ、、、。」

美穂の少女のような純粋な変わりように、紗栄子はつい思い出し笑いをしてしまった。


欲することも、我慢することも、
時には、「たったひとつだけ」に絞ってみるのも悪くないか。。



できる我慢ならしたっていい。
でも、本当にいやなことまでは我慢しないって"選択"できる自分でいたい。




――― ちょっと怖いけど、、
私もたったひとつだけを大切にする時が来たみたい。。 ――――ー




紗栄子は、意を決したように立ち上がり、おもむろに、とある書類を思い切り破り捨てた。



協会会長からの打診の手紙だ。打診と言っても、秘書という名の雑用業務で、
やれ、隠ぺいだの、会長の不倫工作だの、悪質なものだ。
断れば、この先の自分の身は分からない。

でも、アロマを調合する時の純粋な気持ちまで汚されてたまるか、この手を汚してなるものか。

所詮、1枚の紙きれを破り捨てただけなのだが、
こんなにも気持ちが晴れ晴れしたのにはびっくりした。

「なかなかやるでしょ、私も。 なんてったって、お母さんの娘ですもの」
窓辺に咲くオーニソガラムが、夜風でゆらゆら揺れている。



どんなに暗く感じる夜も、地球の瞳は、また開く。
新しい世界を見せてくれることを約束して、、、。


―――― thank you ――――






≪ あとがき ≫

白いオーニソガラムの花言葉は、「純粋」「無垢」「才能」。

真っ白でキレイな花を咲かせることと、星に見立てられる花の形から、
スター=才能あふれる存在をイメージしたものです。

花持ちも良いのも特徴で、
「純粋」という花言葉からもウエディングブーケにもよく用いられる人気の花です。


S様から感じるのは、物静かながらも、そのお心の中で咲き続ける、
まっすぐに伸びるオーニソガラムの花でした。


学生時代に製菓を通して巡りあった、「"作る"ということの喜び」。

大人になり、いろんな困難が訪れても、
S様は、それだけはその手から離さなかった


「純粋」の「純」の「屯」は、「屯(たむろ)する」、
つまり、大勢の人がひとつの場所に集まることを指しています。

どんな時も周りの人たちを思いやる気持ちを持ち続けながら歩まれてきた、
S様の純粋な想いに続くこれからの道には、
必ず、「純」の字が示す、人が集まるあたたかい場所が
出来上がっているのだろうと思うと、胸が熱くなるばかりです。

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